すどうの足跡

政治への芽生え〜青年活動時代〜

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沖縄派遣団として鹿児島港を出発する前日開聞岳と池田湖を背景に記念写真! この日はアポロ十一号のアームストロング船長が人類で初めて月に降りた日であった。

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昭和四十四年 静岡県青年沖縄派遣団員として返還前の沖縄を訪問
(県庁前にて記念撮影)

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沖縄の南武戦跡にある静岡県の前で追悼式を行う。

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昭和四十四年十二月 静岡県ユースホステル協会主催の大韓民国視察団に参加し、釜山、京城を見学。当時の韓国の山には、木がほとんど生えてなく、その後韓国を訪問した時には、植林した木が山に生い茂っていた。

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民族衣装を着た韓国の女性から、韓国経済の厳しい状況を聞く。(昭和44年)

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釜山から京城まで電車で移動し、帰途は空路のため、京城の金甫空港の前で記念撮影。 当時は釜山から京城までの高速道路は開通しておらず工事中であった。

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昭和四十五年 第一回 勤労青年海外派遣団員として出発前に羽田空港にて、エールフランス空港の飛行機前で記念写真。県下の多くの優秀な青年との出会いの場となった。
(後列左から九人目 須藤氏)

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オランダ アムステルダムの風車の前で記念写真を!水と緑と花の美しい国づくりに感動!

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イタリア・ローマの「トレビの泉」の前で記念写真。彫刻芸術の素晴らしさと古代の文化の素晴らしさに驚いた。海外視察研修は「百聞は一見に如かず」の言葉通りで見聞を広めることにより人生観を変えるものであった。

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勤労青年海外派遣団員としてフランスを訪問。パリのシャンゼリゼ通りで凱旋門を背に記念写真。西欧の歴史と文化の素晴らしさに感動し、日本を見直す目を養う。

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第5回 静岡県青年の船は、今迄の3000t規模の船から10000t級の船に拡大され、乗船定員も400余名となったため、富士宮市としては16名の団員を派遣し、盛大な壮行会が行われた。

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昭和47年12月富士宮市青年団体連絡協議会会長として第五回静岡県青年の船「海上青年大学」に参加。富士宮市参加者と日本丸の甲板にて記念撮影。

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青年活動のリーダーとして仲間の意見をしっかりと聞きながら諸々の事業展開をしていくことの難しさと仲間づくりの素晴らしさを学んだ青年活動であった。

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日本丸の船上にて正月用のもちつき大会が催される等、楽しい研修の十三日間であった。日本丸は厳しい試練の研修で、沖縄香港に到着するまで大荒れの航海であった。

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富士宮市青年団体連絡協議会の事務局長を経験した後、会長に就任した。市内全域の単位青年団のまとめ役として、最高責任者の会長となった経験はその後の人生を大きく変えた。

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代々木の国立競技場にて全国青年祭及び全国スポーツ大会が行われ、富士宮市卓球チームの監督として静岡県選手団に加わり開会式に参加。日本青年館に宿泊、飲み歩き門限を破ったため、皆廊下に立たされ罰を受けた思い出は忘れられない。

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富士宮市青年団体連絡協議会会長として市内青年団員との仲間づくりに励む。「若人のつどい」にはバス8台を連ね清里高原等へのハイキング旅行を実施。(前列右から二人目 須津氏)

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市の青年団役員研修会を朝霧野外活動センターで開催。いろいろな地域からいろいろな職業のいろいろな性格を持った青年が集まったが、皆仲良く助け合い素晴らしい団結であった。

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第6回静岡県青年パイオニア大学に参加。青年団活動を行っていく上で大切なことや、人間として大切にしなければならないことを学んだ。今の社会にもこのような青年教育をするような企画を考えるべきだと思うが、果たして青年が集まるか?

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昭和46年 富士宮市の青年達が自らの手で、古い空き家を市から借り、改築整備をし「青年の家」を作り、自主運営をした。その「青年の家」で囲碁クラブを結成し、正月には着物を着て囲碁大会を行った。「井目風鈴」でも指導者の深沢7段には勝てず!

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昭和45年、石川草堂先生の書道塾「草岳会」に入門、5段を授与され、雅号を「無涯」と授らけた。 (門人展にて仲間と共に記念撮影)

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青年活動を引退後、昭和49年 敬神宗祖の啓発と高揚を訴え「富士山本宮浅間大社青年会」を仲間と共に発起人となり県立させる。神社の諸行事に奉仕し、事業部長副会長として活躍する。

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浅間大社青年会の仲間と毎年、富士山の清掃に参加。「きれいな富士山みんなの誇り」を合い言葉に奉仕作業に励んだ。

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浅間退社青年会の研修旅行にも参加。毎年全国の神社に正式参拝に歩いた。靖国神社への参拝も勿論のこと大切にしてきた。

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昭和51年 地元福地青年会の復活をする。富士宮市の伝統の秋まつり復活に貢献。市内各所に山車の建造がゆきわたってきたのは、須藤氏の貢献が大きい。高はり提灯を持ち地元区の秋まつりの先頭に立つ。

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昭和五十四年 外神「天外天」神社のカッパまつりに保育園の子供達の前にて裸で先頭に立ち、大ウチワを振りお祭りを盛り上げる。力持ちでなければとても振れない難技!

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スポーツは大好き、特に野球は子供の頃から球を追う!少人数の地元福地区の野球チームの中心となり、昭和42年市政25周年の体育の日に富士宮市区対抗野球大会に投手として参加、見事優勝を果たす。

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昭和51年2月 地元ローカル紙「岳南朝日新聞」に掲載された市長選の記事、青年代表として須藤秀忠氏が山川斌氏支援をした様子が載っている。

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届出のあと握手して互いの健闘を励ます山川・植松両候補(市役所大会議室で)

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昭和51年 政治団体「富士宮市政を正す青年協議会」の会長として、仲人である山川斌富士宮市長の4期目カムバック実現の中心的役割を果たした。当選祝賀会にて青年代表として挨拶を行う。以後、毎月1回4年間1度も欠かさず50人の会員と市政についての勉強会を開催する。

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富士宮市政を正す青年協議会の仲間達と、山川斌市長宅の庭で、山川斌市長を囲んでバーベキューを行い、大いに飲み政治を語り合う。

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山川斌市長の家には、常に訪問し若者の声を市政に反映させるためにと、遠慮なく意見を申し上げた。山川市長は「若い者がふるさとを良くしなくて誰がやる」と若者を大いに激励し、若者の声を聞いてくれた。

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